「ザ・スタンド」スティーブン・キング
なぜ彼等は死ななければならなかったのか?
「ザ・スタンド」スティーブン・キング
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昔、安倍なつみが好きだった。花見で酔いつぶれクラッシュ状態になったとき、友人に絡んでは「今すぐなっちをつれてこい」と言っているところをビデオで撮られたくらいだ。
その後、彼女の周囲への発言や主張を聴くにつれ、「もし世界が最後の戦いをするべく二つの軍に分かれたら、この子とはきっと違うサイドにつくだろうなあ」と思うようになった。
この場合の違うサイドってのは、例えば仔猫とか、赤ん坊とか、自分に似てないだけのそういう相手では無い。なんというか……ラーの鏡チームかなあ……。ノーマン・ベイツ・チームとか……。
ま、自分は超個人主義者なので、本来はそういうチーム分けってのはあまり意味が無いと思うのだけれど、「世界を二つに分けたなら」ってテーゼは、根源的な面白さを持っていると思う。
ターミネーターや、ゴッド・サイダーなんかでも、この最終戦争のテーゼは語られている、定番のテーマだ。
で、スティーブン・キングの「ザ・スタンド」では、世界中に疫病が広まり、あらかたの人間が死んでしまう。残った人々が二つの集落に分かれ、なんとか社会を再興してゆく。
山をはさんで東側に集まったのが、黒人のおばあちゃんを中心にした通称、フリー・ゾーン。西側のラスヴェガスに集まったのは、悪の化身であるヒッピー、ランドル・フラッグの元に集まったチーム。
結局、最後には核爆弾で西側は吹っ飛んでしまう。神の意思が現れました、という下げになるのだが、ラスヴェガスの人々は、決して悪い人間とは描かれていない。
たしかにゴロツキやヤク中もいるが、良感度の高い、ユーモアを解する人々が多い。
東側にだって、アル中や、イタズラして車を暴走させてしまう少年がいる。
では、なぜ西側の人々だけが滅びなければならなかったのだろうか? ぼくにはどうしてもそれがわからないのだ。神様、キング様。
作中には、民族的権威を主張する過激派や、狂った殺人グループも存在している。そして彼等は東西の都市が出来る前に淘汰されている。
つまり、西側の人々は、そう言った、ある種特別な「悪」のようでは無いように思える。もっと身近で、かつ、根本的な悪なのだ。たぶん。
その価値基準では、あるいはぼくや隣の友人が神の鉄槌を受けるべきかもしれない。
おかしな言い方だけど、ぼくは、悪い事が悪いとは思っていない。
万引きやスピード違反は犯罪だけど、別段それらの犯行者と友人になれないとか、敵対すべきだとかは思わない。警官になったって、きっと思わないだろう。
いいですか皆さ~ん(ここんとこ、セガール風に)、人間には欠点があります。それは当然のことだし、必要以上に恥じるべきではありません。過ちは、必要ならただ、訂正するだけでいいのです。必要無いなら、そのままだっていい。
問題なのは、自分の過ちを認めたくないあまり、世の中その物を貶めて、歪めてしまう事じゃあないだろうか?
ぼくの大好きなギャグに、「なんなら相撲で決めよう」ってのがある。伊集院光が、自分と誰かの間で、意見が分かれた時に使うギャグだ。ぼくも相撲がいいと思う。
もし仮に、神様がやってきて人々を裁くなら、ラスヴェガスとフリーゾーン、どちらの扱いを受けてもぼくはかまやしない。むしろ、望むところだと思う。
相撲だろうと神の審判だろうと、正統な判断の物差しが存在するなら、それって幸せな事じゃあないだろうか?
怖いのは、何が正しくて、何をすべきかが分からない状況だと思う。もし信念を持たなければ、ぼくらは多細胞のアメーバのように、単純行動を反復しながら生きるしかなくなってしまう。
浦沢直樹のマンガ「MONSTAR」では、カリスマ的なサイコ殺人犯を、黙示録の怪物に例えている。でも、実際のモンスターはそんな単一の希少生物じゃない。
よく目を凝らしてみよう。あちらにも、こちらにも、世の中は小型のヒトラーばかりじゃないかい?
すでに世の中はモンスターの物だ。神を待つ者に居場所なんかはないんじゃないかと時々思う。
でも、それでもぼくは真実がしりたいんだ。それが本当の答えなら、敗北だって喜んで受けよう。正統に戦った敗北者だって、胸を張って生きていこう。
スタンド。立っている事、これはきっと大切なんだ。特にお相撲のルールでは。
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